そもそも障害者ってなんだ
身体障害、発達障害、精神障害…健常者と違う特徴があるとされ、健常者と同じようにふるまうように生きてみるものの、やっぱりつらい。
身体障害者に対しての認知度に比べると、精神障害や発達障害に関してはまだまだ低いかなと思います。
本人が努力をしていても、そして頑張ろうとしていても、朝起きれないのは甘えで、忘れ物が多いのは意識が低いから。そんなふうに言われてしまうでしょう。
発達障碍者にとってつらいのは、脳の障害のためできないことが見えないということ。
空気を読むって何?
社会で生きていく上では障害者は健常者に合わせることを強いられます。
薬を飲む、生活を見直す、支援を受ける。
様々な方法で、みんなと同じようにふるまえるように矯正されます。
私はそこにどうしても違和感を持ってしまいます。もっと違う道があるんじゃないだろうかと。
毒親
そもそもなぜ社会で生きていくことを考えて、みんなに合わせるようになんてことをしなければならないのか。
社会で生きていくことを誰かが強制したのでしょうか。
だとすれば、それは誰でしたか?
例えば、両親。
私の両親は、どちらも私とほとんど会話しませんでしたが、父親は社会の厳しさをいつも説いていました。
子供だった私にはそれはつらい時間で、時にはそれを泣きながら聞いたこともありました。
……あまり面白い話ではなかったですね、すみません。
親が死んだときのことを考えてサーチをするようなこともありました。そのとき見つけたリンクを貼っておきます。
父親が死んだ時は嬉しかったな: コーヒーはちみつの「躁うつ」日誌
環境によって後天的に障害者になるという人がいます。確実なデータなどはとっていないのでわかりませんが、環境によって生き方が天と地ほどの差が生まれると、私も思います。
人の人生が左右される場に大きくかかわっている教育――そう、先生たちもまた、「就職」を人生の最大の価値であるかのように説いてきます。
考え方は人それぞれ、それが本当に幸福であると思う人もいます。
しかし、就職する以外の道が障害者には閉ざされやすい。親という一番の支えであるべき人が理解者でないといけないのですが、障害者の場合は厳しいですよね。
そもそも、普段から親の信用を得られることができない。障害の特徴が悪いほうに働いて、もしくは親の気に障るような言動をとってしまって、うまくいかないなんてことが起こりやすい。
私の信条「好きなことを好きなだけ」
就職に対する違和感を抱えている人たち同士で、もっとコミュニケーションを取り合えたらいいなと思います。
そういう場に参加するために、インターネットで行われている趣味のオフ会や、同人サークルなどに入るだけでも、仲間が増えると思います。支援施設などに通うよりは、自分のやりたいこともできて、得意を伸ばせる最高の方法なんじゃないかなと。
私は昔からオフラインでの集まりや、ゲームサークルでの活動に多く参加していました。友達は誘わずに飛び入りで、時には親にも内緒で。様々な年代の方々とお話しすることで、自分の知らない分野の面白い知識なんかも教えてもらったりしましたし、サークルなら月に一、二回で数千円。勉強するのが苦手な方でも、遊びながら仲間を作れるし、なにより高いお金を払って大学に通わなくてもいい。
この頃になると、親に何か言われても気にならなくなりました。自分の道は自分で決めなければならない。とても苦しいことだけれど。
好きなことを好きなだけして、それで楽しく生きていければ、それが「理想の就職」なんじゃないかな、と最近は思います。